取締役たちが散り始めると、トニー・トロメイはヘンリー・ルンドに目配せした。
「私はもう少しここに残って、昔のことでも思い出していようと思うんだが、一つ思いついたことがある。マリア・ダ・シルヴァは来週、休暇を取る。彼女が戻ってきたら、君の秘書にならないかと声をかけてみたらどうだね?」
言葉の形こそ質問だったが、質問には聞こえなかった。
「でも、私にはもう……」
ルンドが言いかけると、トニー・トロメイが遮った。
「分かっている。君には秘書がいる。だが、マリア・ダ・シルヴァはここに長く勤めている。ピノ嬢には想像もつかないようなことを、彼女はたくさん知っているんだ」
ルンドは悟った。
これは年老いた秘書を救ってやろうという話ではない。
老いた取締役から自分への、個人的な贈り物なのだ。
「彼女とは、もうお話しになったんですか?」
「いや。マットはダ・シルヴァ夫人のことは自分がきちんと面倒を見ると言っていた。だが、私はこのほうがいいと思う。決めるのはダ・シルヴァ本人だ。ただ、私が君に彼女を推薦したと伝えてくれ」
「分かりました。おそらくこの一年で私の仕事もかなり増えるでしょうから、秘書がもう一人必要になるかもしれません」
二人はしばらく互いを見つめた。
トニー・トロメイはグラスを持ち上げた。
「これを飲み干したら、一人でこの部屋に別れを告げるよ」
「どうか、お元気で」
ルンドは言った。
「もし、いつか助言が必要になったら……」
「本当に必要なら、伝言を残してくれ。メールは送るな。返事はしないから」
二人は握手を交わした。
そしてトニー・トロメイは、取締役専用の食堂に一人残った。
胸に込み上げるものがあった。
だが、涙が出たのはルンドとの別れよりも、痛みのせいだった。
トニー・トロメイはベストのポケットから、エナメル装飾の施された銀の小箱を取り出した。
錠剤を一つ取り出し、ウイスキーで流し込んだ。
それからフォークを一本手に取り、取締役専用の男性用化粧室へ向かった。
その化粧室は父が設計したものだった。
もっとも、完成したのは父が死んだあとだった。
黒い大理石に取り付けられた金色の輪や、金色のネジの頭は、いたるところで「T」の文字を形作っていた。
トロメイの印だった。
父には墓地に一つ、そしてここにもう一つ、二つの霊廟があったのだ。
トニー・トロメイは、黒い石の小便器に長々と小便をした。
それからフォークを手に取り、白い大理石に自分のメッセージを引っかいて刻んだ。
クソ道化ども
さらに続けた。
くたばりやがれ
トニーは手を小便器の水に浸し、血まみれになった手で壁を横になぞった。
フォークが表面を削り取ったところで、文字が赤く燃えるように浮かび上がった。
Vastaa